ワタシ活動!自分軸で生きていこう!

Noと言えない日本人代表のような私が自分軸で生きていこうと決意。日々の気づきや変化の記録。

幸せになると、急にどうしていいか分からなくなる件

想定以上の幸せな事が

起きた時、どうしたらいいか

分からなくなる事ありませんか?

 

ふと思い出したのが

小学校高学年の時の

バレンタインです

 

好きな男の子がいて

チョコを渡しました

 

好きってメモを入れてのか

記憶はないけど

でも好きだっていう意図は

伝わってるはずだという

記憶があります笑

 

ダメだろうなーって

嫌われたかなーと

思っていたのですが

 

なんとホワイトデーにお返しを

わざわざウチまで来て

届けてくれました

 

ピンポーンとベルが鳴って

出たら、その男の子がいて

 

えーー!!!???となり、

お返しのお菓子と、可愛い小物をくれました。

 

どうしていいのか、分からなすぎて

受け取って、ドアを閉めて

 

なぜか、私の中では

心にフタをしたのです

 

ありがとうとすら、言えたかな

覚えてない。。。笑

 

向こうも勇気を出して

応えてくれたのに

 

なぜか心にフタをして、

そこから意識しすぎて

意識するのをやめることに

した私

 

結局、そこから

恥ずかしくて気まずくなり

話せなくなってしまった

という。。。。

 

なぜか急に甘酸っぱい

思い出を思い出しました笑

 

今思えば、まだ恋に恋していただけ

かもしれないけれど

 

嬉しかったことを

嬉しすぎてどう取り扱って

いいのか、わからなかったんです

 

ただ素直に、ありがとう!嬉しい!って

たったその一言が、いえなかった

 

幸せを受け取るのが

怖かったのかも

しれないと

 

今になって、思い出した

 

3月に強制終了となって

休職している私ですが

 

ようやくすこしずつ

気持ちの良い日が

増えてきています

 

なんで幸せになることを

受け止められなかったのか

 

考えてみたけど、思い浮かぶのは

 

怖かったんだと思う

 

どうなってしまうんだろうかって。

 

私は幸せになったら

どうしたらいいのか

わからない

 

私はどこかかけていて

十分じゃない存在で

いつまで経っても

完全にならない

 

なにかしようと思っても、

それをするには、十分じゃない

私は足りてない、完璧じゃないって

いう思考があったことに

気づく

 

だから、いつもクヨクヨ悩んでしまう。

 

HSPぽい気質で、色々と考えすぎて

しまうんだけどね

 

完璧な私なんて

永遠にこないし

なれないよなぁ

 

完璧って、どこまで

やれば完璧になれるのか笑

 

冷静に考えると

なんかおかしいね笑

 

未完成な私が

既に完璧なんだよ

 

と、そのようなことを

聞いたことがあるけど

そうだよなぁ

 

あかちゃんも

大人のようには何もできないけど

それだけで十分愛されるし

生きる価値がある

 

それが、なぜ、

大人になると

生きているだけじゃ

価値がない、という

思考になって

しまうのだろう

 

何が生産的じゃないといけない、

効率的に、なにか生み出さなくては

いけない、よくならないといけない、

出来る様にならないといけない

などなど

 

大好きなコジコジのセリフ

吸って吐く、それが生きる道!違う???

 

生きてることに

価値も無価値もない

ただただそれだけなのに

 

なんでこんなに価値を

求められているような

気になってしまうんだろう

 

吸って吐く

 

それだけのことなのに

それすら出来ないくらい

辛い気持ちになってしまう

 

どうしたらいいのか

わからなくなってしまうと

私はその感情を味わうことが

怖くなる

 

だからフタをして

無かったことのように

してしまう

 

それが積み重なって

あるは爆発、強制終了の

流れになるわけですが

 

フタをしてしまうのは

なぜか

 

怖いから

 

なぜ怖いのか

 

どうしていいのか

わからないから

 

フタをして

なんでもないフリをしていれば

周りは気づかないし

何事もなかったように

なるって知ってるから

 

でも、本当は感じてしまってるのに

ないことようにすれば

するほど、その感情が色濃く

深く心の奥の方で留まっている

 

怖いよー。寂しいよー。

 

ただその一言が

ずっと言いたい時に

言えなかった

 

どうしたら、いいのか

わからない不安を

抱えたまま

 

お母さんが死んだ時の

4歳の葬祭場のエレベーターの

記憶が思い浮かぶ

 

気持ちはなんか不安なのに

誰も何も、なんとなく

いつも通りで

誰にこの辛さを1番伝えたい

かって

 

お母さんに伝えたかったのに

死んでしまったんだ

 

涙がいま湧いてきたから

きっとそうだったんだね

 

気づかなくて

ごめん、私

 

そうだよね

1番の理解者だったお母さんに

言ってわかって欲しくて

ギュってして欲しかったよね

 

大丈夫って言って欲しかったのに

もう言ってくれる人が

いない。。。。

 

そりゃフタもするよね

 

だってお父さんも悲しみでいっぱいで

生活は、世の中は

当たり前のように

太陽が登って1日が始まって

動いていって

 

自分だけ

立ち止まってるわけには

いかないって

なんとかやっていくしかないって

そう思って行くためには

 

フタをするしかなかったんだよね

 

私が一見すると

甘えているようにみえても

それは、甘えさせてあげている、と

相手に思わせるための、

気遣いで

 

心から甘えたことって

母が死んだ後、何度あるだろうか

 

甘えてるフリして

ほんとはいつも心に距離があるの

 

巧妙すぎて

きっと

大人はわからないと

思ってた

 

本当に本心から辛い時に

心から甘えられない

頼らないって

それが1番辛かった

 

甘えてもいいって

許可を自分に出してあげられなかった

 

だからずっと頑張ってた

 

ようやく今すこし

小さい頃の自分と

向き合えてきた気がする

 

ここまで書くのに

うわーっと出てきたけど

涙も出た

 

自分は自分を

ちゃんと甘やかして

あげよう

 

お母さんはもういない

私が、自分のお母さんになってあげれば

いい。

 

自分の子供たちにしてあげるように

甘えさせてあげよう